不朽の名作『スタンド・バイ・ミー』で、主人公ゴーディの親友クリス役を演じた、リバー・フェニックス。
公開当時は16歳で、『スタンド・バイ・ミー』は代表作とも言えます。
一気にスターへの道を駆け上ったリバー・フェニックスでしたが、23歳という若さで亡くなっています。
この記事では、リバー・フェニックスの
- デビューから遺作までの画像
- 死因は何?(くわしく解説)
- プロフィール
について、解説します。
【スタンドバイミー】リバー・フェニックスの死因は?詳しく解説
リバー・フェニックスは、順調にキャリアを積み上げ、将来を期待された俳優でした。
しかし、23歳という若さで急逝します。
亡くなった当時は、世界中で大きなニュースとして報道されました。
死因もかなりショッキングなものでした。
リバーの死因は、薬物の過剰摂取
リバー・フェニックスは、1993年10月31日深夜、急性複合薬物中毒で急死しました。
- 死んだ場所は、当時ジョニー・デップが経営していたハリウッドのナイトクラブ
- ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)や兄弟、ガールフレンドたちもいた
- リバーは、ヘロインとコカインを飲み物に入れて飲んだ(スピードボール)
- リバーは、過剰摂取で気分が悪くなる
- リバーが、歩道に倒れてけいれん
- 救急車が来た時には、心肺停止でチアノーゼが出ていた
- 心肺蘇生を試みるも、病院で死亡が確認された
- 検死で、致死量の8倍の薬物を摂取していたことが判明
なぜジョニー・デップが経営する店にいたかというと、ジョニーはリバーと大親友だったのです。
なので、仲間と一緒にお店に行ったようですが、現場にはジョニー自身はいませんでした。
ジョニー・デップもショックだったでしょうが、世間も大きな衝撃を受けたのです。
リバー・フェニックスは、かなり厳格なビーガン(完全菜食主義者)でした。
恋人がアメリカンクラブハウスを注文すると、ショックを受けて、レストランで泣き出してしまったり。
来日した時に蕎麦を食べようとして、つゆに鰹節が使われていると知って、食べなかったという逸話もあります。
それくらい、徹底した菜食主義者だったのです。
世間一般的に「すごくクリーンな人」というイメージがありました。
そのため、リバー・フェニックスが亡くなった時は、かなりセンセーショナルなニュースとなったのです。
後年、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフルシアンテは、回顧録を出版しています。
本によると、90年代のフルシアンテは、深刻な麻薬中毒状態にあったそう。
1993年10月後半は、二人で同居しており、大量にドラッグをやったと告白しています。
アメリカの新聞など、いくつもの記事を確認しましたが、「長年の常習者だった」という報道は、特にありませんでした。
また、家族もリバーが麻薬を常習していたことはなかったと否定しています。
一方で、ロブ・ライナー監督やコリー・フェルドマンは、『マイ・プライベート・アイダホ』の頃には、もう麻薬をやっていたと、インタビューで語っています。
特にコリーは、自身も早くから薬物依存で逮捕もされたことから、リバーを気にかけていて、お互い立ち直れるよう声をかけていたと言います。
リバー・フェニックスは麻薬の逮捕歴がなく、ごく一部の人しか知らなかったようです。
なので、アメリカ社会は「どうしてあの人が」という衝撃を受けたのでした。
死ぬ前のリバーを、ディカプリオが目撃していた
リバー・フェニックスが死んだ夜、実はレオナルド・ディカプリオも近くにいたそうです。
リバーは、ジョニー・デップが経営する店へ行く直前、パーティに出席していました。
同じパーティに、ディカプリオもいたのです。
ディカプリオは、リバーに憧れていて「いつか会いたい」と思っていたそう。
18歳のディカプリオにとって、リバーはヒーローで遠い存在だったと語っています。
パーティ会場で、自分の方に歩いてくるリバーを見て、ディカプリオは固まってしまったのだとか。
けれど、人の多いパーティだったので、リバーを見失ってしまったと言います。
そして、数時間後にリバーは急死してしまうのです。
憧れの人が、初めて見たその日に亡くなるというのは、何かしら運命的なものを感じますね。
ジェームス・ディーンは、24歳で交通事故で亡くなりました。
ディーンの再来と言われたリバーも、23歳で夭逝。
二人とも将来を期待されていた俳優だけに、本当に残念でしたね。
【画像】スタンドバイミーのクリス役はリバー・フェニックス!
映画『スタンド・バイ・ミー』で、クリス役を演じたのは、リバー・フェニックス。
圧倒的な存在感で、主人公より目立っていた感さえありますね。
リバーにとって、『スタンド・バイ・ミー』は俳優として2作目の映画でした。
この記事では、デビュー作から遺作まで、画像を交えながらリバー・フェニックスの軌跡を追いかけてみました。
【15歳】デビュー作『エクスプローラーズ』は別人みたい?
リバー・フェニックスは、12歳の頃からCMやテレビドラマなどに出演。
映画デビュー作は、1985年公開の『エクスプローラーズ』です。
『スタンド・バイ・ミー』が公開される前の年です。
1970年生まれなので、15歳の時に公開されていますが、撮影自体は14歳の時。
パソコンオタクの役だったということもあり、メガネをかけています。
『スタンド・バイ・ミー』とは、だいぶイメージが違いますよね!
この映画では、イーサン・ホーク(主役)と共演しました。
【16歳】『スタンド・バイ・ミー』で注目を浴びる
1986年公開の『スタンド・バイ・ミー』は、リバー・フェニックスの出世作。
全米から「ジェームズ・ディーンの再来」と拍手喝采され、一気に注目を浴びます。
ちなみにこちらも撮影時は14歳です。
あどけなさを残しながらも、時にはりりしく、時にはくわえタバコで背伸びする姿が、とても印象的ですね。
【16歳】『モスキート・コースト』でハリソン・フォードと共演
『スタンド・バイ・ミー』と同年公開の『モスキート・コースト』。
リバー・フェニックスは、ハリソン・フォードと親子役で共演しました。
『スタンド・バイ・ミー』より、顔立ちがちょっぴり精悍な感じですね。
どんどん背が伸びて、少年時代を駆け抜けるように、カッコ良さが増していきます。
【18歳】『ジミー さよならのキスもしてくれない』で主演
1988年公開の『ジミー さよならのキスもしてくれない』では、主役を演じています。
いわゆる「アメリカのハイスクール映画」ですね。
顔立ちがだいぶ青年らしくなり、少年時代が終わった感があります。
【18歳】『旅立ちの時』でアカデミー賞にノミネート
こちらも1988年公開の『旅立ちの時』では、最年少でアカデミー助演男優賞にノミネートされています。
親がテロリストという高校生役を熱演。
個人的には、吉田秋生さんの漫画『バナナ・フィッシュ』のアッシュ・リンクスを演じるなら、この頃のリバー・フェニックスがうってつけだったと思っています。
アニメ版は観たことないですが、漫画だとルックスも雰囲気も、そっくりですよね!
このメガネをかけたところも、アッシュ・リンクスそっくり!
ニューヨークのヤング・ギャングのリーダーで、頭脳明晰という複雑な役も、リバーだったらハマリ役だったろうにと思います。
【19歳】『インディ・ジョーンズ』にも出てた!
あまりイメージないですが、リバー・フェニックスは『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』にも出演しています。
インディの青年時代を演じ、ハリソン・フォードやショーン・コネリーと共演。
この頃のリバーは、旬の俳優という感じがありましたね。
【21歳】『マイ・プライベート・アイダホ』
リバー・フェニックスの代表作のひとつ『マイ・プライベート・アイダホ』。
観た人も多いのではないでしょうか。
リバーは、ヴェネツィア国際映画祭など3つの映画賞で、主演男優賞を受賞しました。
俳優としてのピークとなった作品と言えるでしょう。
キアヌ・リーブスとのW主演で、退廃的な青春映画を熱演。
イケメン俳優が2人で主演を張り、大きな話題となった作品でした。
【22歳】『スニーカーズ』
『スニーカーズ』では、リバーは天才ハッカー役を演じています。
この頃は、いかにも精悍な青年というイケメンぶり。
個人的には、リバー・フェニックスは、カラー写真よりもモノクロ写真の方が、より雰囲気が合っているように感じます。
【23歳】遺作となった『ダーク・ブラッド』
リバー・フェニックス主演の『ダーク・ブラッド』は、撮影途中でリバーが急死したため、とん挫。
リバーの亡くなって20年周年ということで、2013年に公開されました。
監督が余命わずかとなったため、奮起して完成させたそうです。
2021年5月現在、U-NEXTでは、リバー・フェニックス出演の7本の映画が配信されています。
- 『マイ・プライベート・アイダホ』
- 『旅立ちの時』
- 『リトル・ニキータ』
- 『殺したいほどアイラブユー』
- 『恋のドッグファイト』
- 『アメリカンレガシー』
- 『スタンド・バイ・ミー』
『スタンド・バイ・ミー』以外では、
- キアヌ・リーブスとW主演した『マイ・プライベート・アイダホ』
- 最年少で助演男優賞にノミネートされた『旅立ちの時』
が特にオススメです。
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※本ページの情報は21年5月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
リバー・フェニックスのwikiプロフィール
- 芸名:リバー・ジュード・フェニックス
- 本名:リバー・ジュード・ボトム
- 生年月日:1970年8月23日生まれ
- 出身地:オレゴン州
リバー・フェニックスは、5人弟妹の長男として、オレゴンで生まれました。
名前の「リバー」は、ヘルマン・ヘッセの小説「シッダールタ」に、「ジュード」はビートルズのヒット曲に由来しています。
両親がカルト教団「神の子供たち」の信者だったため、ベネズエラなどの南米で幼少期を過ごしました。
リバーは、正式な学校教育を受けておらず、家族のために街角でギターを弾くなどして、お金を稼いでいたそう。
1980年代に、家族はアメリカへ戻り、母親がテレビ局で秘書として働き始めます。
リバーは12歳からCMなどに出演するようになり、1984年にはテレビドラマに出演。
本格的に芸能活動が始まり、同年には映画デビューも果たします。
そして、1986年に『スタンド・バイ・ミー』が公開されると、「ジェームス・ディーンの再来」として脚光を浴びることに。
リバーは、着実に俳優としてのキャリアを積んでいく一方、社会的な活動も行っていました。
動物や環境保護の活動に取り組み、1992年には表彰されています。
完全菜食主義者だったのは、動物愛護の観点からでした。
環境保護のために、絶滅危惧種が多くいるコスタリカの熱帯雨林を買い上げたりしています。
社会的な問題意識の高い、若い世代のインフルエンサーというのが、一般的なイメージだったのですね。
そのため、急性薬物中毒で亡くなった時は、かなり衝撃的なニュースとなりました。
【スタンドバイミー】クリス役のリバー・フェニックスまとめ
映画『スタンド・バイ・ミー』で、主人公の親友役クリスを演じた、リバー・フェニックス。
- 『スタンド・バイ・ミー』撮影時は、14歳だった
- 『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』では、若き日のインディ役で出演
- キアヌ・リーブスとW主演を務めた『マイ・プライベート・アイダホ』が、俳優としてのキャリアのピーク
- リバーは動物愛護や環境保護の活動も行い、完全菜食主義者だった
- ヘロインとコカイン(スピードボール)の過剰摂取で、急性複合薬物中毒で急死
- 享年23歳だった