タイタニック号日本人生存者の細野正文は非難された
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絶対に沈まないと謳われていたタイタニック号は、氷山に衝突して沈没します。

救命ボートは、乗客の半数分しか用意されていなかったため、多くの乗客が命を落としました。

この記事では

  • 日本人生存者は細野正文さん(孫は細野晴臣)
  • 細野正文さんは誹謗中傷されて失職
  • 汚名返上のきっかけは映画『タイタニック』だった

について、解説します。



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【タイタニック実話】日本人生存者の孫は細野晴臣!

沈没したタイタニック号には、乗客と乗組員あわせて2212人が乗っていました。

このうち1502人が死亡し、助かったのは705人

生存者は約3分の1だけだったのです。

そして、日本人の生存者は1人でした。

九死に一生を得た日本人生存者について、

  • ダニエル・アラン・バトラー著『不沈タイタニック 悲劇までの全記録』
  • 202123日放送『ワールド極限ミステリー』
  • ナショナルジオグラフィックの「WebナショジオInterview

を参照に、解説します。

唯一の日本人乗客だった細野正文

処女航海で沈没したタイタニック号に乗っていた日本人は、一人だけでした。

唯一の日本人乗客にして、生存者となったのは、鉄道院のエリート官僚の細野正文さん(当時41歳)

1年半のロシア留学を終え、帰国するところだったのです。

この細野正文さんは、実はYMOの細野晴臣さんの祖父。

写真を見るとやはり似てますよね。

正文さんが帰国してから、晴臣さんの父親が生まれます。

なので、正文さんが死んでいたら、YMOも存在しなかったことになるのです。

細野正文の手記から分かるタイタニック号沈没

細野正文さんは、救助されたカルパチア号の中で、タイタニック号沈没の一部始終を手記にまとめています。

タイタニック号日本人生存者・細野正文の手記

現在は、横浜みなと博物館に保存されているそうです。

細野正文さんは、ロシア留学を終えて帰国する際、知人のいるイギリスに立ち寄ります。

そして知人に勧められて、タイタニック号に乗船したのでした。

1等船室の料金は、500万円以上しました。

金銭的に買う余裕は会ったものの、白人以外は敬遠されたこともあり、細野正文さんは2等船室を予約。

氷山が衝突した時、細野正文さんには音は聞こえませんでした。

しかし部屋がカタカタと揺れたので異変に気づきます。

パニック回避のため詳細は聞かされなかったものの、救命胴衣を渡されて「デッキに集まれ」と言われます。

細野正文さんも急ぎ上階のデッキへ向かいましたが、日本人は差別されて乗組員に「下へ行け」と言われたのです。

スミス船長は、女性と子どもを優先避難させるよう指示を出していました。

細野正文さんは、手記に次のように書き残しています。


大事件が発生せしことを知り、命も本日にて終わることを覚悟し、

別に慌てず日本人の恥になるまじきと心がけつつ、ボートには婦人たちを最先に乗す。


もう妻子には会えないのだろうと覚悟していたところ、「あと2人ボートに乗れる」と言われます。

周りを見ると、女性や子供はいません。

一人の男性がボートに飛び乗るのを見て、細野正文さんも10号ボートに飛び降ります。

ボートに乗ろうとする男性は、船員が銃で撃ったりしていたので、撃たれてもやむを得ないと決死の覚悟で飛び乗ったそうです。

10号ボートは、船の左舷側にありました。

左舷側は「女性と子ども優先」に厳格で、男性だと10歳くらいの子どもも乗せていなかったのです。

また、乗り込もうとする男性は、拳銃で威嚇されていました。

なお、『不沈タイタニック 悲劇までの全記録』にも、細野正文さんが乗った10号ボートの様子が書かれています。

まもなく一〇号艇を降ろす用意ができた。

ボートが下降し始めると、男が一人、手すりに駆け寄った。

止めようとしたロウエ五等航海士の目には「狂ったイタ公」に見えた。

もっともロウエにかかると、無理やり救命ボートに乗ろうとする者はみな、「スペイン野郎」か「イタ公」になる。

ロウエは止めきれず、男はボートに飛び乗った。

引用:『不沈タイタニック 悲劇までの全記録』

状況からして、航海士ロウエが見たのは、正文さんか、その前に飛び乗った男性かもしれません。

日本人も、イタリア人やスペイン人のように髪が黒いので、混同されたのかもしれませんね。

細野正文は非難されて失職

九死に一生を得て帰国した細野正文さん。

奇跡の生還者として報道され、お祝いムードで迎えられました。

タイタニック号日本人生存者の細野正文は非難された

ところが、「ボートに無理やり乗り込んできた日本人がいた」という証言者が現れ、世論が一変。

恥知らずの卑怯者と誹謗中傷されます。

しかし正文さんは一切反論しなかったそうです。

孫の晴臣さんは「明治生まれの気骨でしょうか。あるいは、多少は生きて帰ったことを恥じる気持ちもあったのかもしれない」と推測しています。

そして正文さんは、生還後しばらくしてから鉄道員の役職を解かれてしまうのです。

ある特定のジャーナリストが執拗に正文さんを中傷していたそうで、かなり長い間バッシングは続いたそうです。

孫の細野晴臣が知ったのは小学3年生の時


孫の細野正臣さんが、「祖父はタイタニック号の生存者だった」と知ったのは、小学3年生のころ。

家族で『SOSタイタニック 忘れえぬ夜』という映画を観た帰り道、父親が「タイタニックにおじいさんが乗っていた」とボソッと教えてくれたのだそうです。

細野正文さんは世間から大バッシングされたため、家族でタイタニックの話をすることはなかったとのこと。

そのため、祖父が卑怯者扱いされていたことを、晴臣さんが週刊誌の記事で知ったのは、高校生のころ。


祖父が誹謗中傷されていた事実を知り、とても不安になりました。

このことは今でも心に影を落としています。

何故なら自分が生まれたことを否定されている気がするからなのです。

引用:202123日放送『ワールド極限ミステリー』


元中央大学の教授だった、叔父の細野日出男さんが、1942年に遺品を整理します。

そして見つかったのが、前述の正文さんの手記

細野正文さんの汚名返上を試みたそうですが、戦時中で世間は戦争一色だったため、うまくいかなかったそうです。

汚名返上のきっかけは、映画『タイタニック』

映画タイタニック

細野正文さんの汚名を晴らすきっかけとなったのは、映画『タイタニック』

タイタニック財団が、乗客の調査に来たのです。

調査団には学者たちもいて、当時の証言や資料を世界中から集めていました。

そして

  • 細野正文さんが乗っていたのは、10号ボート
  • 細野正文さんは、アルメニア人と思われていた
  • 人を押しのけてボートに無理やり乗ったアジア人は、14号ボート

ということが分かったのです。

10号ボートの乗組員が、「乗っていたのはアルメニア人2名」と証言していました。

そのため、細野正文さんがどのボートに乗っていたか、長い間分からなかったのですね。

しかしタイタニック財団の調査で、10号ボートに乗っていたアルメニア人の回想録に「日本人と一緒にボートを漕いだ」と書いていたことが判明したのです。

調査結果は新聞や雑誌で取り上げられ、多くの人が細野正文さんの真実を知ることに。

85年ぶりに細野正文さんの汚名が晴れて、親戚一同集まってお祝いしたそうです。

正文さんも名誉回復できて、天国で喜んだことでしょうね。








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【タイタニック実話】日本人生存者まとめ

沈没したタイタニック号の生存者は、705人。乗船者のわずか3分の1でした。

  • 唯一の日本人乗客で生存者だったのは、細野正文さん
  • 細野正文さんの孫は、YMOの細野晴臣さん
  • 細野正文さんは「他人を押しのけて救命ボートに乗った」と非難され、失職した
  • 細野晴臣さんが、祖父とタイタニック号について知ったのは、小学3年生のころ
  • 細野正文さんの名誉は、映画『タイタニック』をきっかけに回復された

というのが、この記事のまとめです。

細野正文さんが名誉を回復するきっかけとなった映画『タイタニック』は、U-NEXTで配信されています。

また、BBCが2011年に制作した『タイタニック 水との闘い』という再現ドラマも配信されていますよ。

タイタニック号の映画・ドラマはU-NEXTでどうぞ!

※本ページの情報は2021年5月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

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