2023年の大河ドラマ『どうする家康』の前回は、桶狭間の戦いで終わりました。
この記事では、『どうする家康』の以下の内容をまとめています。
・第2回のネタバレあらすじ
・見どころと「どこまで史実?」解説
・ドラマの感想
ドラマを予習したい方、他の人の感想を知りたい方はぜひご覧ください
1話~最終話まで、以下のリンクで全放送回のネタバレあらすじを読めます。
【どうする家康】あらすじをネタバレで最終回まで!史実解説・考察記事まとめ
この記事は、主に公式ガイドブック(完結編)を資料にまとめました。
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【どうする家康】第2回ネタバレあらすじ(1/15)
元康と信長の出会い(回想)
生まれた時は、武神の生まれ変わりとまで言われた元康。
しかし元康は、迫りくる織田勢を前におののいていました。
- 城に残り、200の兵で戦う
- 大高城を捨てて逃げる
二つに一つですが、元康は選べません。
逃げればよかった
元康と信長の関係は、少々複雑です。
- 父親の松平広忠は、宿敵の織田信秀にたびたび攻め込まれていた
- 織田に攻め込まれる前に、竹千代を味方の戸田宗光に預けた
- 戸田宗光は裏切って、竹千代を人質として尾張に送った
竹千代は、柄の悪い若侍が集まる荒れた寺へ入れられます。
かわいいのう、白い子ウサギのようじゃ。
食ってしまおうか!
竹千代は、信長とその小姓たちに、毎日のように相撲で投げ飛ばされます。
竹千代は、尾張で悪夢のような日々を過ごしたのでした。
元康がだまし討ちされる
夕方になり、異変が起こります。
織田勢が全軍、引き揚げたのでした。
元康は、信長らしい脅しだったと知って安堵し、城を出て駿府へ向かうと家臣に告げます。
ところが、出発間際に岡崎城から知らせが入ります。
城代の山田新右衛門が討ち死にし、家臣たちは城を捨てて駿府へ帰ったというのです。
- 家臣:これを機に、本領の岡崎に戻るべき
- 元康:妻子のいる駿府へ帰りたい
と意見が分かれてしまいます。
大部分の兵は岡崎へ戻り、元康の元には40名ほどが残りました。
そこへ三河の松平昌久の軍勢が「助けに来た」と現われます。
過去に、昌久に何度も裏切られていたにも関わらず、元康は信じてしまうのです。
やはり昌久にだまし討ちされて、元康たちは多くの犠牲者を出してしまいます。
元康たちは、菩提寺の大樹寺に逃げ込みました。
元康は、亡き父の墓前で自害しようとします。
「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」という唱えているうちに、
尾張での人質暮らしを思い出したのでした。
尾張での人質の思い出
竹千代は、相撲で何度投げ飛ばされても、信長に果敢に挑みました。
竹千代はウサギではない!寅じゃ!
二年経ったある日、ついに竹千代は信長を倒して腕を締め上げます。
しかしすぐに信長に放り投げられて、押さえられてしまいました。
信長は竹千代を立ち上がらせると、人質の交換で、竹千代が今川家に行くことになったと告げます。
地獄を生き抜け!そしていつか、俺がお前の国を奪い、お前を食らってやる!
竹千代がそなたを食らってやる
信長は「それでよい!」と大笑いしたのでした。
元康が何とか岡崎城へ逃げ延びる
父の墓前で自害しようとした元康の目に、闘志がみなぎってきました。
わしは寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた武神の生まれ変わりじゃ!
そなたたちは、わしが守るんじゃ!
元康は、寺の総門を開き、敵軍の中央を切り裂くように突破します。
岡崎城へ戻り、居室に入った途端、元康は涙目になって膝から崩れ落ちます。
これからどうしよう…
本当は、元康が生まれたのは年が明けたうさぎ年だったことを、元康は知りません。
うさぎだと狼に狩られることを心配して、於大が夫の広忠を口止めしていたのでした。
【どうする家康】第2話の見どころ・史実解説
第2話の見どころ
・追い込まれると奮起する元康
・元康が「厭離穢土欣求浄土」を唱える
・竹千代と信長の思い出
毎回、「どうする家康?」と決断を迫られるシーンがあります。
2話では、「桶狭間で義元が死んだ後、どうするか?」を決めなければなりません。
「逃げればよかった」と泣きごとを言い、「妻子に会いたい」とぼやく元康。
しかし最終的には、岡崎城に戻る決断をしました。
しかし、決断する前に、元康は自害寸前まで追い込まれてしまいます。
信長との幼少期の会話を思い出し、奮起して状況が逆転。
何だかんだと、信長に鍛えられた根性が窮地で生きてくるという展開でしたね。
元康にとって、信長が特別な人であることがよくうかがえる内容になっています。
また、元康が墓前で唱えていた念仏は、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」です。
ドラマでは「汚れたこの世をこそ、浄土にすることを目指せ」というセリフで翻訳されます。
つまり、家康が後に天下泰平の世をつくる原点となるキーワードなのです。
ずっと後の回に、また出てくるかもしれないワードですので、覚えておこう!
【解説】史実とドラマの違い
第2話の「どこまで史実?」「どこがドラマ演出?」について、まとめました。
①元康は、うさぎ年生まれだった
②桶狭間の合戦後、元康は岡崎城へ戻った
ドラマでは、於大の方が家康が「寅年の、寅の日、寅の刻に生まれた」と喜びます。
「三寅の福」と呼ばれ、武将にとっては非常に縁起がいいとされていました。
しかし最後に「実はうさぎ年生まれだった」とどんでん返し。
三寅生まれは、後世に作られた家康伝説のひとつとされてるよ
①桶狭間の合戦後、元康は駿府へ帰りたがった
②元康は、幼少期から信長にいじめられていた
③松平昌久がだまし討ちした
④岡崎城で元康が泣き崩れる
⑤元康は、うさぎ年生まれだと知らなかった
①「桶狭間の合戦後、元康は駿府へ帰りたがった」
「どうする家康」は、「家族」が大きなテーマになっています。
そのため、「妻子に会いたくて駿府へ帰りたがる元康」という演出がされているようです。
歴史家の間では、「頼りない氏真では心もとない」と考えて、元康は岡崎城に戻ったというのが通説です。
②元康は、幼少期から信長にいじめられていた
実は、尾張での人質時代の家康については、ほとんど史料がありません。
竹千代時代に信長と会ったことがあるかも、分かっていません。
今回の大河ドラマは「情けない家康」という人物像。
「ジャイアン的信長」と「のび太的家康」という演出なんだね
③松平昌久がだまし討ちした
松平昌久が、家康をだまし討ちしたという史料は見つけられませんでした。
むしろ、孫は家康軍の先陣をつとめて、桶狭間の時に戦死しています。
のちに、松平昌久は三河の一向一揆で、家康の反対勢力のポジションになります。
そのため、前フリとして「だまし討ち」という演出になったのかもしれません。
④岡崎城で元康が泣き崩れる
これも「情けない家康」の演出ですね。
ピーピー泣いていた元康が、のちに「古だぬき」と呼ばれるようになる、「ビフォーアフター」の演出のひとつでしょう。
何をきっかけに家康が変わっていくのか、楽しみだね
⑤元康は、うさぎ年生まれだと知らなかった
本人は、自分がうさぎ年生まれだと知っていたことが、分かる史料があります。
無病息災と長寿を願う願文に、年齢を書いていたのです。
その年齢から、自分がうさぎ年だと知っていたことが分かります。
三寅生まれだったという家康伝説は、家康本人が情報操作していたのではないかと言われています。
【どうする家康】第2話の感想
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※この記事の情報は、2023年1月7日現在です。
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【どうする家康】2話ネタバレあらすじと感想まとめ
・織田軍は、大高城に脅しをかけただけで、引き揚げた。
・逃走する途中で、松平昌久にだまし討ちされた。
・元康は、自害寸前まで追いつめられるも、奮起して昌久軍を突破した。