映画『スタンド・バイ・ミー』では、最後に大人のゴーディが、パソコンに文章を書きます。
そのセリフは「名言」と言われることが多いのですが、吹き替えは誇張した訳になっているのです。
また、スティーブン・キングの同名小説を原作にしていますが、結末が映画と違うところがいろいろあります。
この記事では
- 最後のパソコンの英文は、何と書いてあった?
- 原作小説と違うところはどこ?
- 少年4人は、その後どうなった?
について、くわしく解説します。
【スタンドバイミー】最後のパソコンの英文セリフは?本当の和訳と意味を徹底解説!
映画『スタンド・バイ・ミー』の最後は、作家になった大人のゴーディが、パソコンに向かって文章を書きます。
その言葉が、「名言」としてよく挙げられていますね。
ゴーディは、英文でなんと書いていたのでしょうか?
まず、はじめの2行はクリスが刺されたことについて書いています。
He was stabbed in the throat. He died almost instantly.
訳すと「彼は喉を刺され、ほぼ即死だった」です。
以下が、有名なセリフですね。
Although I hadn’t seen him in more than ten years, I know I’ll miss him forever.
I never had any friends later on I like the ones I had when I was twelve.
Jesus, does anyone?
直訳すると、
「彼とは10年以上会っていなかったが、わたしは永遠に彼を懐かしむだろう。
12歳の時の友達のような友人を、わたしがあれ以来もつことはなかった。
誰もがそうではないだろうか?」
という感じです。
missというのは、相手の不在を恋しく思う単語ですね。
吹き替えでは、「わたしは彼を忘れることはないだろう。友情は永遠のものだ。」と意訳されていました。
「12歳の時の友達」という部分も、吹き替えでは誇張した感じで意訳してありましたね。
「わたしはあの12歳のときにもった友人にまさる友人を、その後二度ともったことはない。」
けれど、英文では「12歳の友達が一番良かった」みたいなことは言っていません。
「12歳の時のような友達」と言っているだけです。
大人になると働くようになり、「常識」「ビジネスマナー」などが大切になってきます。
- どうでもいい、くだらないことを語り合って、笑い合う
- 有名になるために死体探しの旅に出る
などということは、職場の同僚などとはしませんよね。
だから英文だと「確かに、大人になると友達とは、12歳の時みたいな付き合い方をしないよね」と共感できます。
けれど「12歳の時の友達よりまさる友はいない」と言われると、「そうかな?高校や大学の時の友達の方が、気が合ったな」と思う人がたくさん出てくるわけです。
英文で一番訳しにくいのは「Jesus」ですね。
単語そのものは「神」という意味ですが、スラングだと「ちくしょう」「何てこった」みたいな意味で使われることが多いです。
つまりは、感嘆詞なのですね。
おそらく、ゴードンは文章を書きながら、「よく考えたら、12歳の時の友達みたいな友達って、その後できなかったな」という事実に気づいたのでしょう。
そして「ジーザス!(何てことだろう)」と言いたい気持ちになったのではないかと思います。
映画が12歳という年齢にこだわったのはなぜ?
最後の英文は、ゴーディがパソコンに書いた文章と、日本語吹き替えが少し違いました。
けれど、ロブ・ライナー監督が「12歳」という年齢にこだわったのは同じ。
というのも、原作小説には「12歳の時のような友達は、それからできなかった」と述懐する場面はないからです。
小説は、もっと淡々と描かれています。
ロブ・ライナー監督は、なぜ12歳という年齢にこだわったのでしょうか?
12歳というのは、日本だと小学6年生ですよね。
英語だと分かりやすいですが、13歳だとTEEN(ティーン)と呼ばれる年代に入ります。
子ども時代にも段階がありますが、青春期(第二次性徴期)は、人生のなかでも特別な時期。
家族という社会から出て、友人との関係を深めることで、より大きな社会へと踏み出していきます。
体もどんどん変わっていくし、人格形成においても大切な時期です。
12歳は「青春期に入る直前」であり、とりわけ身体的な部分においては「子ども時代の最後」みたいな区切りのニュアンスがあると言えるでしょう。
とくに母親は、あっと言う間に子どもに身長を追い抜かれたりしますよね。
たいていの人は、12歳までは友達よりも「家族と一緒に過ごす時間」が多いのではないでしょうか。
ゴーディは、父親との関係に悩み、苦しんでいました。
そして、ロブ・ライナー監督も、有名人である自身の父親との関係に悩み苦しんだ時期が、長くあったと言います。
「有名人の父親を超える」ということで、葛藤があったそうなのです。
だから、監督はゴーディに深く共感し、自分を投影したとも語っています。
ゴーディもティーンになり年齢が上がるにつれて、「父親を超える」ということを意識するようになるでしょう。
だから、「親の愛を得られない」と、友達の前で泣いて悲しめるのは、たぶん12歳が最後だったのではないかと思うのです。
親の愛を求めて純粋に悲しむ子ども、というのはティーンになると、素直に出せなくなります。
とくに男の子なら恥ずかしさが出てきて、涙を流せないでしょう。
39歳になった監督は「ああ、自分はとてもつらく悲しかったなあ」と、自分が素直に言えなかった言葉を、12歳のゴーディに言ってもらいたかったのだと思います。
【スタンドバイミー解説】結末で原作と違うのはどこ?4人はその後どうなった?
映画『スタンド・バイ・ミー』は、スティーブン・キングの小説が原作となっています。
原作小説のタイトルは『スタンド・バイ・ミー 恐怖の四季 秋冬編』ですね。
ちなみに、映画『ショーシャンクの空に』の原作は、『塀の中のリタヘイワース 恐怖の四季 春夏編』です。
同じシリーズの小説なのです。
さて、映画は基本的に、原作小説とおおむねストーリーは同じ。
けれど、こまかいところは違います。
例えば、ラストで少年の死体を発見するシーンは、小説だと嵐のように雨が降っています。
結末について、映画と原作の違うところで、目立つところをピックアップして解説します。
発砲したのはゴーディではなくクリス
ブラワー少年の死体を発見した時、エースたちの不良グループがやってくる場面があります。
映画では、ゴーディが威嚇発砲してエースたちを追い払いましたね。
原作では、クリスが発砲しています。
なぜ映画と原作で違うかというと、ロブ・ライナー監督が「映画の中心は、ゴーディ少年」という方針をとったからです。
自身も父親との関係に苦しんだ経験のあるライナー監督は、ゴーディに自分を重ね合わせたと語っています。
ブラワー少年の死体を見たゴーディがショックを受け、「兄さんは、なぜ死んだんだ」と泣くシーンがありますね。
実は、小説にはあの場面はありません。
「父さんは、僕を嫌ってる」と泣くのは、ロブ・ライナー監督が付け加えたシーンだったのです。
死体発見の通報したのはエース
エースたちを追い払ったゴーディたちでしたが、結局「こんなことで英雄になってはダメだ」と匿名で通報しましたね。
有名になるために死体探しに来たのに、実際に死体を見ると、英雄になることを手放します。
「少年たちが成長する物語」と言われたりするゆえんでしょう。
しかし、原作ではまったく違うのです。
ゴーディたちは
- エースが仕返しに、警察へ通報するかもしれない
- 自分たちがブラワー少年を殺したことにされたら、どうしよう
- エースたちは、あることないこと言いふらすだろう
と恐れるのです。リアルですね。
何せ、1959年の出来事なので、携帯電話などはもちろんありません。
先に車で帰ったエースたちの方が、「通報」という点では優位だったのです。
実際、警察に死体の通報をしたのは、エースたちでした。
けれど、匿名で電話しています。
なぜなら、ビリーたちが車を盗んでいたので、やはりエースたちも「匿名が安全」と判断したから。
結局、どちらのグループも有名になることはありませんでした。
全員エースたちに仕返しされた
ブラワー少年の死体をめぐって、威嚇発砲までしたゴーディたち。
エースは「おぼえておけ。この借りは返すぜ」と捨て台詞をはいて去りました。
原作では「借りを返す」ところまで、しっかり書かれています。
それぞれ1人ずつ襲撃されました。
ゴーディは、エースたちに袋叩きにされ、見かけた近所の人に助けられます。
兄のことしか頭にない両親も、さすがに驚きゴーディを病院に連れて行きました。
クリスは、帰宅したとたん、兄のアイボールから腕を2カ所折られ、顔もボコボコにされました。
バーンも、兄のビリーに棒でしたたかに殴られ気絶。
バーンが死んだのではと怖くなったビリーは、もうそれ以上殴りませんでした。
テディも、不良グループに襲撃され、メガネを壊されています。
4人とも、「朝鮮戦争の急襲隊の生き残り兵士のような姿」で、しばらく学校に通うことに。
けれど、4人とも誰にやられたか、大人には絶対に口を割りませんでした。
「エースたちにやられた」というと、死体探しに行ったことも話さなければならなかったからです。
クリスとゴーディの高校時代も書かれている
原作小説には、クリスとゴーディの高校時代についても、触れられています。
クリスが進学組に入って、ものすごく苦労しながら、頑張った様子が書かれています。
クリスの父親は、進学したいのは「父親を破綻者あつかいしたいから」と誤解し、クリスに暴力をふるったのです。
高校3年間、ゴーディとクリスは毎日一緒に猛勉強し、ゴーディはクラスで7番、クリスは19番という成績を修めます。
そして、2人ともメイン州立大学に合格したのでした。
ゴーディの小説はベストセラーになり、映画化された
ゴーディは、メイン州立大学を卒業すると、すぐに結婚し、高校の国語の教師になります。
教師をしながら小説を書いていたんですね。
26歳の時に、処女小説がベストセラーとなり、映画化もされています。
2作目、3作目も映画化されてヒットしており、「たいていの場合、幸福だ」と語っています。
映画でも「きちんと暮らしてる」という感じでしたね。
ゴーディ以外は3人とも早死にした
映画だとクリスは、
- 弁護士になった
- レストランでケンカを仲裁しようとして、刺殺された
テディは
- 目が悪くて希望の軍隊に入れなかった
- 刑務所に入った
- 服役後は、臨時雇いで働いている
バーンは、
- 高校卒業後、製材所で働いている
- 4人の子供がいる
となっていました。
しかし原作では、ゴーディ以外は3人とも若くして死んでいます。
テディは、
- 高校を1年留年して卒業
- かつてのエースのようになった
- キャッスルロックの公共事業団に就職
- 1971年に、マリファナとウォッカを回し飲みして運転し、事故死
テディは、享年24歳ですね。
バーンは、
- 1966年に、知人のパーティに行った
- パーティのあったアパートが火事になり、死亡
しています。バーンが19歳の時ですね。
ゴーディ以外の3人が死んだという話には、伏線があります。
マイロの鉄くず置き場で、4人がコインを投げて、全員裏が出ましたね。
「全員裏が出る」のを「グーチャー」と呼ぶのですが、不吉というジンクスがありました。
誰がビールを買いに行くか決める時に「グーチャー」が出て、全員死んだ話をしていましたね。
やり直して2回目に表が出たゴーディ以外は、みんな死んだのでした。
ちなみに、エースは生きていて、ずっと後に町でばったり会った時のことも、原作には書かれています。
クリスは弁護士になっていない
映画では、クリスは弁護士になっていました。
原作では、メイン州立大学の大学院の2年生で、まだ弁護士になっていませんでした。
なので、クリスも24歳で死んだことになります。
映画では「10年以上会っていない」となっていましたが、原作ではずっと付き合いがあったことが伺われます。
奇しくも、リバー・フェニックスは23歳で亡くなりました。
偶然ですが、ちょっと驚きますね。
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映画『スタンド・バイ・ミー』は、スティーブン・キングの同名小説を原作にしています。
- 最後のパソコンに書かれた英文では「12歳の時のような友達を、その後もつことはなかった」と書かれており、「12歳の時の友達が最高」というようなニュアンスはない
- 映画の内容は、原作とおおむね同じだが、こまかいところが異なる
- 原作では、ゴーディ以外の3人は早死にした
- 原作には、ゴーディとクリスの高校時代の話も載っている
- 原作では、クリスは弁護士ではなく、大学院2年生の時に死んでいる