映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、伝説のバンドQUEENとフレディ・マーキュリーのバイオグラフィー映画です。
70~80年代に世界を席巻したバンドなので、映画でQUEENのファンになった人も多いでしょう。
この記事では、
- 登場人物ネタバレ相関図
- キャスト・声優一覧
- 簡単ネタバレあらすじ
- 登場人物のプロフィールや生い立ち・経歴・その後
について、解説しています。
【ボヘミアンラプソディ】登場人物ネタバレ相関図
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の登場人物相関図とキャストを解説します。
QUEENのマネージャー関係は、誰がどういう仕事なのか、ちょっと分かりにくかったですよね。
相関図だと一目瞭然です。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』のネタバレ相関図はこちら。
スマホは指で広げると、相関図が拡大します。
登場人物のカードの色分けは以下の通りです。
- ピンク:QUEENのメンバー
- ブルー:QUEENのビジネス関係者
- オレンジ:フレディのプライベート
相関図には盛り込めなかったのですが、フレディ・マーキュリーと、パーソナルマネージャーのポール・プレンターは、一時期は恋人同士でした。
ちなみに、ジョン・リードは、「クイーンのマネージャー」です。
ジョンが解雇された後は、マイアミことジム・ビーチが、クイーンの新マネージャーとなっています。
映画では、新旧交代が説明されていないので、「どうして弁護士のマイアミさんが、ライブエイドのステージにいるの?」と思った人も多いかもしれませんね。
ちなみに、EMI社長のレイ・フォスターは、モデルはいるものの、実は架空の人物です。
また、フレディはメアリー・オースティンについては、生前のインタビューで「内縁の妻」「唯一の親友」ということをよく言っていました。
けれど映画の範囲では分かりやすく「元恋人」と表記しています。
『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』という自伝本では、QUEENのメンバー4人が、たびたびケンカしていたと書かれています。
ごく小さなことで言い争うんだけど、それは4人とも巨大がエゴの持ち主だからで、そういう運命なんだ。とはいえ、僕らはとっても仲が良い。
引用:『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』
みな自分の曲を1曲でも多くアルバムに入れたくて、ケンカになったのだとか。
映画では「バンドは家族だ」というセリフがよく出てきますが、前述の自伝本では「クイーンは音楽グループであって、家族じゃない」と断言しています。
ちょっと意外なのですが、フレディはメンバーについて
- 仕事仲間であり、太い絆はない
- ほぼ毎日、仕事で顔を合わせる
- プライベートではなるべく距離を置きたい
- 四六時中、自分の人生を同じ人間にうろうろされたら、気が狂う
- 4人を結び付けているのは音楽
だと、自伝の中で語っています。
あくまでも「仕事仲間」であり、ある意味ではライバルだと言えます。
メアリー・オースティンとの友情とは、だいぶ異なる関係だったようです。
『ボヘミアン・ラプソディ』キャスト&声優一覧
役名 | キャスト | 劇場版吹き替え声優 |
フレディ・マーキュリー | ラミ・マレック | 櫻井トオル |
メアリー・オースティン | ルーシー・ボイントン | 川庄美雪 |
ブライアン・メイ | グウィリム・リー | 北田理道 |
ロジャー・テイラー | ベン・ハーディ | 野島裕史 |
ジョン・ディーコン | ジョゼフ・マゼロ | 飯島肇 |
ジョン・リード | エイダン・ギレン | 志村知幸 |
ポール・プレンター | アレン・リーチ | 鈴木正和 |
ジム・ビーチ | トム・ホランダー | 赤城進 |
レイ・フォスター | マイク・マイヤーズ | 咲野俊介 |
ジム・ハットン | アーロン・マカスカー | 佐々木優子 |
デビッド | マックス・ベネット | 下川涼 |
【ボヘミアン・ラプソディ】簡単ネタバレあらすじ
映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、伝説のバンドQUEENとフレディ・マーキュリーのバイオグラフィ映画です。
そのため、回想シーンなどのカットバックがなしで、時系列に物語が進むのが特徴です。
あらすじを簡単に簡潔に、箇条書きで紹介します。
- フレディが、「スマイル」のライブでメアリーと出会う
- フレディが、バンド「スマイル」の新ボーカルとして加わる
- メンバーやメアリーとその父を、誕生日パーティに招待
- エルトン・ジョンのマネージャーであるジョン・リードから連絡くる
- EMIと契約し、一躍スターとなり、世界ツアーを回る
- フレディがメアリーにプロポーズ
- 「ボヘミアン・ラプソディ」が収録されている「オペラ座の夜」のレコーディング
- EMI社長のレイ・フォスターが、「ボヘミアン・ラプソディ」に大反対
- 世界ツアーが続き、フレディとメアリーは、ほとんど会えない状態
- フレディが、自身のセクシャリティについて、メアリーに告白
- ケンジントンのウェストロッジに自宅を購入し、メアリーは隣家に
- クリスマス・パーティで、ジム・ハットンと出会う
- ソロの話を断り、ジョン・リードを解雇
- フレディの体調に異変が出始める
- レディがソロ契約し、メンバーとケンカ
- ポール・プレンターが周囲との連絡を取り次がなくなる
- メアリーが妊娠を告白、フレディがポールを解雇
- メンバーと仲直りし、フレディがバンドに復帰
- フレディが、ジム・ハットンと再会
- ライブエイドでQUEENが伝説のパフォーマンス披露
映画では、ライブエイドがクライマックスシーンとして使われていますね。
本物のライブエイドでは、6曲演奏されたましたが、劇場版『ボヘミアン・ラプソディ』では2曲カットされています。
劇場未公開の2曲も入った完全版『ボヘミアンラプソディ』が、Huluで配信されています。
6/4の金曜ロードショー放送直後から、2週間限定の配信。
完全版の配信は、Huluが世界初だそう。
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【ボヘミアン・ラプソディ】登場人物の経歴やその後
この章では、
- QUEENというバンド
- 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の登場人物
について、プロフィールやエピソードを解説します。
バンド「QUEEN」
フレディとブライアン、ロジャーの3人は、1960年代後半に、ロンドンで出会いました。
映画でも紹介されていたように、バンド「スマイル」の新ボーカルとして、フレディが後から加わった形です。
1970年に「QUEEN」と名前を変え、1971年にはディーコンが加わりました。
バンド名について、フレディは自伝の中で次のように語っています。
クイーンの名前はかなり早くに思いついた。キングはありえなかったね、クイーンみたいな響きもオーラもないし。
威風堂々としていた、壮麗な響きもあった。強くて、とっても普遍的で、即自的。
ビジュアル面の可能性も大いに秘めていたし、ありとあらゆる解釈にオープンだった。
今思えば、クイーンの名は、あの時代に合っていた気もする。
(中略)ゲイ的な含みがあるのはもちろん自覚していたけれど、それはひとつの側面でしかなかったし。
引用:『フレディ・マーキュリー 自らが語るその人生』
劇中でアルバム『オペラ座の夜』のレコーディングをするシーンがあります。
EMI社長のレイ・フォスターは6分間もある「ボヘミアン・ラプソディ」のシングルカットには、大反対でしたね。
しかし実際には、イギリスで9週間連続1位のヒットとなります。
ただ、アルバム「オペラ座の夜」はレコーディングが長引き、費用が莫大だったことや、訴訟なども起きたため、ほとんど儲けはなかったそうです。
1991年にフレディが亡くなると、バンド活動は停滞します。
フレディがボーカルを務める最後のアルバムは、死後4年経った1995年にリリース。
1997年に「No-One But You」をレコーディングしますが、ライブなどはほとんど行いませんでした。
長い模索の後、2005年に「クイーン+ポール・ロジャース」という形で、世界ツアーを開始。
ポール・ロジャースが、フレディの後継者としてクイーンに加入する形ではありませんでした。
ちなみに、すでに引退していたギターのディーコンは、ツアーには参加していません。
2010年にはEMIとの契約を終了し、ユニバーサル・ミュージックと契約。
2011年からは「クイーン+アダム・ランバート」として、ツアーなど回っています。
ちなみに、新ボーカルのアラム・ランバートも、映画『ボヘミアン・ラプソディ』に、ちょい役で出演しています。
フレディが、世界ツアー先からメアリーに電話をするシーンで、後ろを通るヒゲの男性がランバートです。
2020年は、コロナ禍でツアーができなかったため、クイーンはランバートとアルバムをリリースしています。
フレディ・マーキュリー
- 本名:ファルーク・バルサラ
- 生年月日:1946年9月5日
- 死没日:1991年11月24日(享年45歳)
- 出生地:ザンジバル島(タンザニア)
- 宗教:パールーシー教徒(ゾロアスター教)
- 映画キャスト:ラミ・マレック
フレディは、イギリスの保護国だったタンザニアのザンジバル島で生まれます。
8歳になると、インドの全寮制のイギリス式寄宿学校に入れられます。
17歳になると、ザンジバルに戻って家族と暮らしますが、治安上の理由からイギリスへ移住。
イーリング・アートカレッジで、グラフィックデザインを学びました。
卒業後にアルバイトをしながら、ブライアン・メイたちとバンド活動をし、「QUEEN」を結成。
4オクターブの声で世界を魅了し、一世風靡しますが、1991年にエイズの合併症で亡くなりました。
フレディの生涯については、別の記事に詳しくまとめましたので、ご参照ください。
メアリー・オースティン
- 生年月日:1951年生まれ
- 出身地:ロンドン
- 二児の母親映画
- キャスト:ルーシー・ボイントン
メアリー・オースティンは、ロンドン南部のバターシー地区の貧しい家でに生まれ育ちました。
両親はどちらも耳が不自由で、父親は壁紙職人、母親はメイドとして働いていました。
家が貧しかったため、学校を中退し、15歳から地元ホテルの受付として働いています。
メアリーがフレディと出会ったのは19歳で、Bibaというブティックで働いていた時。
2人は出会ってすぐに意気投合し、一緒に暮らし始めます。
22歳の時にフレディに求婚されましたが、25歳の時にフレディが「バイセクシャル」と告白し、恋愛関係に終止符がうたれることに。
しかし、その後も友人としての関係は生涯続き、フレディの死後は遺産の半分を相続しました。
フレディは、「真の友人は、メアリーだけ」と生前によく語っており、2人の絆の深さが伺えます。
ブライアン・メイ
- 本名:ブライアン・ハロルド・メイ
- 生年月日:1947年7月19日
- 出身地:ロンドン
- ギター&ボーカル
- 映画キャスト:ブライアン・メイ グウィリム・リー
ブライアン・メイは子どもの頃から頭がよく、11歳の時にハンプトングラマスクールで、奨学金を獲得しています。
特に理系学科が得意で、インペリアル・カレッジ・ロンドンでは数学と物理学を専攻。
大学院へ進み、天体物理学の博士課程に進みますが、QUEENの活動が忙しくなり、研究を一時断念します。
(2006年に、博士号習得のため再び勉強をはじめ、論文を書いて修了)
音楽も好きで、16歳の時に電気工学エンジニアの父と、エレクトリックギター「レッド・スペシャル」を自作するなどしています。
大学時代にバンド「スマイル」を結成し、フレディと出会うことに。
最初の結婚は、1974年から1988年までで、妻はクリスティーン・マレン。
3人の子どもがいます。
夫婦間にはだいぶ問題を抱えていたようです。
80年代後半から90年代前半にかけて、ブライアン・メイは重度のうつ病で、自殺まで考えたそう。
2度目は、2000年に女優のアニタ・ドブソンと結婚し、現在にいたっています。
ロジャー・テイラー
- 本名:ロジャー・メドウズ・テイラー
- 生年月日:1949年7月26日
- 出身地:ノーフォーク(イギリス)
- ドラム&ボーカル
- 映画キャスト:ベン・ハーディ
ロジャーは早熟で、友人と7歳の時に人生最初のバンドを結成しています。
その時の担当楽器は、なんとウクレレ。
ずっとギターを習っていましたが、中学生の時のバンドでドラムに転向。
成績も優秀で、ロンドン病院医科大学で歯学を学ぶも、飽きてしまったそうで生物学を学びます。
イーストロンドン工科大学で、理学士を取得しました。
1969年に出会ったフレディと、同居して古着を売るなどして生計を立てていました。
クイーンのメンバーとしては一番最初に、ソロデビューしました。
フレディとは違い、反核など社会的なテーマで音楽活動もしていています。
28歳の1977年に、ドミニク・ベイランドと結婚し、2人の子供ができましたが、離婚。
51歳の2010年に、サリーナ・ポトギーターと再婚しています。
ジョン・ディーコン
- 生年月日:1951年8月19日
- 出身地:レスターシャー(イギリス)
- ベース&ボーカル
- 映画キャスト:ジョゼフ・マゼロ
ディーコンは、子どもの頃から機械が好きで、自分で録音機器などを自作しています。
ロンドンのチェルシー・カレッジで電子工学を学び、試験はほとんどAという優秀な成績を修めています。
14歳からバンド活動を始め、友人の紹介で20歳の時に、QUEENに加入。
1991年にフレディが亡くなると、ソロ活動もほとんど行わなくなります。
1997年には引退し、「クイーン+アダム・ランバート」などのツアーには参加していません。
ポール・プレンター
- 生年月日:1946年生まれ
- 出身地:ロンドン
- 死没日:1991年8月(享年45歳)
- 映画キャスト:アレン・リーチ
ポール・プレンターは、1977年から1986年まで、フレディ・マーキュリーの個人専属マネージャーでした。
一時期は、フレディと恋人関係でもありました。
ポールは、サン紙にフレディの私生活を暴露する一方で、フレディには「メディアに強いられている」と言い訳。
映画では、ライブエイド前に解雇されているように描かれていますが、実際に解雇されたのはライブエイド後の1986年です。
その後ポールは、フレディが亡くなる3カ月前に、エイズの合併症で亡くなっています。
ポール・プレンターの暴露話については、別の記事に詳しくまとめましたので、ご参照ください。
ジム・ハットン
- 生年月日:1949年1月4日
- 出身地:アイルランド
- 死没日:2010年1月1日(享年60歳)
- 映画キャスト:アーロン・マカスカー
ジム・ハットンは、サヴォイホテルの美容師として働いていました。
映画では、フレディが自宅で開いたクリスマス・パーティで出会ったことになっていますね。
実際には、1985年3月に「ヘヴン」というゲイバーで知り合っています。
それ以後は、7年間フレディの恋人として、最後まで一緒にいました。
1990年には、自身もHIVに感染していることが判明しましたが、フレディには1年ほども告白していません。
フレディの死後は、遺産の一部を相続し、アイルランドに帰国。
晩年には『フレディ・マーキュリーと私』という本を出版しています。
2010年の元旦に、肺がんで亡くなっています。
ジム・ハットンとフレディの馴れ初めや、フレディ亡き後の晩年などについては、別の記事に詳しくまとめていますので、ご参照ください
ジョン・リード
- 生年月日:1949年9月9日
- 出身地:スコットランド
- 映画キャスト:トム・ホランダー
18歳でEMIのプロモーターとなり、22歳で自分の会社を設立。
21歳の時に出会ったエルトン・ジョンとは、5年間恋人同士でした。
ジョンと破局した後も、1988年までマネージャーを務めています。
その一方で、1975年から1978年まで、QUEENのバンドマネージャーでもありました。
50歳の1999年には経営から引退しています。
ジム(マイアミ)・ビーチ
- 本名:ヘンリー・ジェームズ・ビーチ
- 生年月日:1942年3月9日
- 出身地:グロスター(イギリス)
- 弁護士兼バンドマネージャー(2代目)
- 映画キャスト:トム・ホランダー
ジム・ビーチは、2つのカレッジで法律を学び、弁護士になっています。
最初は、QUEENの法的代理人の弁護士として、雇われていました。
フレディから「マイアミ・ビーチ」とあだ名を付けられたのは、実話です。
ジョン・リードが解雇された後は、1978年にQUEENの2代目マネージャーに就任。
映画では、ライブエイドで、ビーチが音量ボリュームを上げるシーンがありました。
「どうして弁護士のマイアミが、ステージにいるの?」と思った人も多いでしょう。
劇中では説明がなく、分かりにくかったですが、あの時にはマネージャーになっていたので、ステージに上がれたんですね。
実際に音量を上げたのは、ビーチではなくサウンドエンジニアのトリップ・カラフでした。
詳しい内容は、別の記事にまとめていますので、ご参照ください。
レイ・フォスター
The guy playing EMI record label executive Ray Foster in the Bohemian Rhapsody biopic? Yeah, baby, that’s Mike Myers.@BoRhapMovie #BohemianRhapsody #dayofAYOH #OscarNoms pic.twitter.com/4a4FIEs43k
— Eric Alper (@ThatEricAlper) January 23, 2019
映画キャスト:マイク・マイヤーズ
レイ・フォスターは、EMI社長として登場しますが、実は架空の人物です。
EMIレコードの幹部だった、ロイ・フェザーストーンがモデルだと言われています。
【ボヘミアンラプソディ】解説・考察記事一覧
【ボヘミアンラプソディ】登場人物相関図&キャストやあらすじまとめ
- 『ボヘミアン・ラプソディ』は、QUEENとフレディ・マーキュリーのバイオグラフィー映画
- フレディがバンドを結成し、ライブエイドに出演するまでを描いている
- EMI社長のレイ・フォスターは、架空の人物
- 映画は、事実を少し変えて演出している部分もある
登場人物相関図やプロフィールなどは、本文をご参照ください。