大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、菅田将暉さんが源義経を演じています。
悲劇の武将・義経は、数々のドラマで取り上げられてきました。
「義経に、子供は何人いたの?」
「現在も続いている直系の子孫はいるの?」
と気になりますよね。
この記事では、
- 源義経の4人の子供
- 源義経の現在の子孫は中村氏?
について、解説します。
源義経の子供は4人? 子孫の現在は?
源義経には、伝承も含めると4人の子供がいた可能性があります。
娘が2人と、息子が2人ですね。
一人ずつ解説します。
義経の妻については、下の記事をご参照ください。
郷御前との娘
義経の正室・郷御前との間には、娘が一人いました。
1189年に、平泉で義経が自害する前に、娘も殺しています。
年齢的には、3~5歳くらいだったと思われます。
かわいい盛りの娘を殺さなければならなかった義経も、つらかったでしょうね。
静御前との息子
静御前との間には、男児が生まれました。
しかし、義経の嫡男ということですぐ殺されています。
義経が平泉に落ち延びる時、吉野山で別れた静御前はつかまってしまいます。
その後、鎌倉へ送られて「義経の居場所を知っているのではないか」と取り調べを受けたのです。
その時、妊娠していることが発覚し、出産するまで鎌倉へ留め置かれました。
北条政子も頼朝に助命歎願していますが、聞き入れられませんでした。
生まれた男児は、命じられたすぐに安達清常が、由比ガ浜で殺害しています。
源有綱の妻も娘?
源有綱公を祀る有綱神社 pic.twitter.com/NFJiU7FZnX
— 長野左衛門大夫業盛 (@R400momiji_line) September 9, 2018
源有綱の妻も、義経の娘ではないかと言われています。
『吾妻鏡』には、「有綱が義経の婿であると称して多くの荘園広領をかすめ取っている」という記録があるのです。
源有綱は、伊豆守・源仲綱の次男で、源頼政の孫にあたる人物。
名前からして源氏ですが、祖父と父親は、以仁王が挙兵した時に参陣し、戦死しています。
源有綱の妻については、
- 義経が平泉時代に、佐藤兄弟の姉妹との間にできた子供では?
- 義経の養女では?
といくつかの説があります。
平泉時代の義経の子だとすると10歳未満なので、結婚は不自然です。
そのため、「血の繋がっていない養女では?」とも言われています。
中村朝定も息子?現在の子孫は中村氏?
下野国(現在の栃木県)の御家人・中村朝定も義経の息子ではないかと言われています。
- 栃木県真岡氏の遍照寺
- 青森県弘前市の圓明寺
の記録に、義経の息子という記録が残っているのです。
- 源義経の息子・千歳丸(経若丸)は、常陸入道念西(伊達朝宗)に預けられた
- 千歳丸(経若丸)は、後に朝定と名乗った
と伝わっています。
経若丸という名前も、義経と幼名・牛若丸を連想させますよね。
養子になった経若丸は、成人すると養父・念西の遺言をまもって、中村城主となったのです。
先代城主の中村資綱は、幕府の要職について長く鎌倉にいたので、領地は荒れていました。
朝定は、治水工事を行い、領民を大切にしたので、領民から慕われたようです。
亡くなると、領民たちは「中村大明神」を建立しています。
良き領主であった朝定ですが、途中で幕府から領地を取り上げられてしまいます。
承元3(1209)年に、源実朝は中村領を取り上げ、朝定を鎌倉に呼び寄せて監視下に置いたのです。
この頃まだ「義宗」と名乗っていました。
しかし、幕府が義経の名前が入っていることを嫌ったため、「朝定」と名前を変えています。
中村氏が領地を取り戻したのは、鎌倉幕府が滅亡した後、朝定の5代後でした。
中村氏は現在も子孫が続いています。
領主ですから、地元では今でも名家なのではないでしょうか。
朝定が義経の嫡男だとすると、現在も続く直系の子孫は中村氏かもしれませんね。
伝承が真実だとすると、「義経の嫡男が、なぜ殺されなかったのか?」と、ちょっと不思議ですよね。
恐らく、幕府は長い間、朝定が義経の子供だとは気づいていなかったのでしょう。
実朝の時代にようやく気づき、監視下に置くことにしたのかもしれません。
養父の常陸入道念西(伊達朝宗)とその息子たちは、奥州討伐の功労者でした。
中村一族の中には、幕府の要職についている者もいました。
義経の息子とは言え成人していますし、功労者の養子を処罰するには、それなりに理由が必要です。
頼朝ならすぐに殺害したかもしれませんが、実朝の時代は「鎌倉殿の13人」の方が力を持っています。
すでに世の中は安定しており、中村氏が幕府を脅かす可能性はほとんどありません。
殺さずに監視するという穏便な方策を講じたのかもしれませんね。
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源義経の子供と子孫の現在まとめ
源義経には、4人の子供がいたと伝わっている
明確に分かっているのは、郷御前との間の娘ひとりと、静御前との間の息子ひとり
『吾妻鏡』の記録から、源有綱の妻も義経の娘と言われている
下野国の中村朝定も、義経の息子と伝えられている
中村朝定が嫡男だと、現在も続く中村氏が子孫ということになる