
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公は、鎌倉幕府の2代目執権・北条義時です。
大河ドラマは、主人公が生まれてから死ぬまでを描くのが基本。
最終回では、北条義時が死ぬ話になるはずです。
この記事では、
- 北条義時の最後は、どんな死に方?
- 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』での北条義時の最後は?
について、解説と考察をまとめています。
【歴史】北条義時の最後は62歳で急死!
北条義時の最後は、謎に包まれています。
亡くなったのは、1224年7月1日(元仁元年6月13日)です。
享年62歳でした。
2年前の1220年に、北条義時は
- 陸奥守を辞任
- 右京権太夫を辞任
しており、無官になりました。
還暦を機に、隠居することにしたのでしょうね。
- 1224年3月19日から、健康長寿を願う泰山府君祭を開始(100日間)
- 1224年4月27日に、三寅丸の手習始の儀式で中心的役割を担う
など、元気に活動していました。
しかし、義時は6月13日に急死したのです。
割と元気にしていた権力者の急死ということで、様々な憶測を呼んだようです。
北条義時の最後はミステリアス!死因は3説
北条義時の死因は何だったのでしょう?
歴史的には3つの説が伝わっています。
【死因1】脚気説
北条家の正史書である『吾妻鏡』では、北条義時の死因は脚気衝心とされています。
脚気は、ビタミンB1不足で起こる病気です。
脚気になると、初期には食欲不振、全身の倦怠感などの症状がでます。
次第に、足がむくんだりしびれるようになり、動悸・息切れ・感覚の麻痺などの症状も出るように。
心臓機能が低下してしまい、最悪の場合心不全を起こして死に至るのです。
しかし、義時の死因が脚気だとすると、「1カ月前に、儀式でいろいろ働けないよね?」と疑問が残ります。
重度の脚気で、そんなに動けるだろうかと不思議に思いますよね。
『吾妻鏡』は、北条家に都合のいいように事実が歪曲されているところがあります。
そのため、義時の死因も事実かどうか、正確には分かりません。
あくまでも「北条家では、脚気で死んだと伝わっている」ということですね。
【死因2】後妻の伊賀の方が毒殺
『明月記』によると、北条義時は、後妻の伊賀の方に毒殺された可能性が示唆されています。
『明月記』は、鎌倉時代の公家である藤原定家の日記です。
1180~1235年の56年にわたって、細かく記録がつけられています。
承久の乱の首謀者のひとりだった尊長が、義時が死んだ3年後に捕らえられます。
尊長は、六波羅探題での苦しい拷問に耐えかねて、
「義時の妻が、義時に飲ませた薬で早く自分を殺せ!」
と叫んで武士たちを驚かせた、と『明月記』に書かれているのです。
伊賀の方が、夫の北条義時を毒殺したかどうかは、はっきりと分かりません。
しかし、「伊賀の方なら、やりかねない」と疑われていたようです。
というのも、後妻・伊賀の方は、自分の実子である政村を、3代目執権にしたかったんですね。
義時が死ぬと、すぐに兄の伊賀光宗と組んで、いろいろと政治的な画策をしたのです。
そのため、周りからは疑われることになったようです。
ちなみに、北条義時の正室・姫の前は、結婚して3年で病死します。
後妻となったのが、伊賀の方です。
ドラマ『鎌倉殿の13人』の八重は、伊藤祐親の娘・八重と、側室の阿波局をミックスした人物設定になっています。
詳細は別の記事にまとめましたので、ご参照ください。
【死因3】近習の小侍が刺殺or毒殺
『保暦間記』(ほうりゃくかんき)の記載から、別の死因説もあがっています。
北条義時は「近習の子侍に刺殺もしくは毒殺されたのでは?」という説ですね。
『保暦間記』は、南北朝時代に書かれた歴史書です。
作者不詳ですが、南北朝時代の足利方の武士と言われています。
かなりしっかりした古文書なので、歴史研究の基本史料とされているんですね。
その『保暦間記』には、北条義時の死因について「害された」とシンプルに書かれているのです。
そのため、伊賀氏に命じられた小侍が刺殺したか、毒殺したのではないか、とも言われているのです。
やはり、北条義時は脚気ではなく、殺されたという説が有力なのかもしれません。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』での北条義時の最後は?
北条義時の最後はよく分かっておらず、ミステリアスです。
となると、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の最終回がどうなるのか、気になりますね。
北条義時には、少なくとも4人の妻がいたことが分かっています。
しかし、大河ドラマでは、妻は八重しか登場しないのではないでしょうか。
少なくとも前半の20話では、妻は八重しか登場しません。
伊賀の方は、登場しない可能性が高いです。
となると、大河ドラマでの北条義時の死に方は
伊賀光宗(伊賀の方の兄)が、小侍に命じて毒殺か刺殺させる
という可能性が高いかもしれませんね。
脚本家の三谷幸喜さんが、無難な『吾妻鏡』の脚気説を採用するとは考えにくいです。
信ぴょう性も低いですし、ドラマチックでもありません。
北条義時は、承久の乱の後に反対勢力を一掃するので、恨んでる人も多かったはず。
幕府の最高権力者だったので、伊賀氏のように邪魔だと思っている人も多かったでしょう。
『鎌倉殿の13人』の最終回では、北条義時はドラマチックな最期を迎えるのではないでしょうか。
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北条義時の最後まとめ
- 北条義時は、62歳で急死した
- 北条家の正史書『吾妻鏡』では、義時の死因は脚気による心不全とされている
- 藤原定家の日記『明月記』では、伊賀の方が毒殺した可能性が示唆されている
- 南北朝時代の歴史書『保暦間記』では、義時は殺害されたと記録されている
- 『保暦間記』から、北条義時は伊賀氏の小侍から刺殺もしくは毒殺された説も出た