2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には、伊東祐親の下人・善児が登場します。
無表情に次々と人を暗殺していく恐ろしさが、SNSで話題になっています。
この記事では、
- 善児は実在した?
- 善児のモデルは誰?
について、考察と解説をまとめています。
【鎌倉殿の13人】善児は実在しない架空人物
善児は実在しないドラマオリジナル!
伊東祐親の下人である善児は、ドラマオリジナルの架空の登場人物のようです。
演じる梶原善さんは、善治という人物について以下のように語っています。
「ちょっと正直言って、皆目見当がつかないところはあるんですけど。
本当にわからないんですよね、あの人は」
実在の人物であれば、何かしら手掛かりがあるでしょう。
「日々やったあと、あれで正解だったのかなと、いつも頭をかしげながら、現場を後にする毎日」
だそうです。
情報が少なすぎて、梶原善さんも迷いながら演じているんですね。
インタビューをまとめると、梶原善さんは善児を以下のような人物だと解釈しているそうです。
- ちょっと折れ曲がった性格
- 主人の言うことは従順に聞く
- 躊躇なく人を殺せるのは何かが欠落しているから
- 善児の魅力は「無」というか、どうとでも動いてしまうところ
- 善児には欲望がないが、嫌がりもせず主の言うことを聞く
- 小さい頃から人に指図されていたので、いつでも動けるタイプ
- もしかすると父親も善児のような人だったかも
- 忍者などではなく、普通にお屋敷に仕えてた人なのではないか
確かに、あまり自己主張せず、欲望もなさそうで、主に忠実な暗殺者という感じですよね。
善児が殺したのは20話までに5人
善児は、伊藤祐親や梶原景時に命じられて、何人も人を殺しています。
あらすじが分かっている20話までに、善児が誰を殺しているのか確認してみましょう。
- 伊藤祐親の命令で、千鶴丸を川に沈めて殺害(1話)
- 伊藤祐親の命令で、北条宗時を川で殺害(5話)
- 伊藤祐親の命令で八重を殺そうし、かばった江間次郎を斬殺(9話)
- 梶原景時の命令で、それまで主だった伊藤祐親と祐清を殺害(11話)
ドラマ前半の20話までは、5人あやめていますね。
しかも、梶原景時に捕まって、自分の命が危うかったとはいえ、主だった伊東父子まで殺害しています。
ドラマで見る限り、良心が葛藤している様子もありませんでした。
ほとんど殺人マシーンのような無表情ぶりで、怖かったですね。
善児から逃げられた八重は、かなり運が良かったのではないでしょうか。
梶原景時は、ダークで便利な仕事屋を見つけた感じでした。
ドラマ後半は、鎌倉殿の御家人同士で権力争いがデッドヒートします。
梶原景時の「仕事人」として、善児は引き続き暗躍しそうな予感です。
善児の名前はキャスト由来?
善児は見るからに、中年男性。
しかも、暗殺者。
「善児」という名前が、何とも皮肉っぽいですよね。
善児は架空のキャラクターなので、おそらくキャストの梶原善さんの名前が由来なのではないでしょうか。
【鎌倉殿の13人】善児のモデルは誰?
善児は、ドラマオリジナルの架空の登場人物と前述しました。
では、モデルとなった人物はいるのでしょうか?
善児のモデルは小平井久重?
善児が暗殺した人物の線から、調べてみました。
ドラマでは、源頼朝の観音像を取りに帰った北条宗時を、川で殺害していましたね。
Wikipediaによると、
「早河のあたりで平家方の伊東祐親軍に包囲され、小平井久重に射られて討たれた」
とあります。
小平井久重とは、どんな人物なのでしょう?
- 伊豆国平井郷の武士
- 紀六久重とも呼ばれた
- 石橋山の合戦では、平家方についた
- 早河で北条宗時を射殺
- 1181年に、工藤景光に捕らえられ、さらし首になった
平家方の武士だったため、頼朝が坂東支配を始めたからは、窮地に陥ったようです。
工藤景光は、頼朝の呼びかけに応じて、甲斐で挙兵した武士です。
小平井久重が死んだ1181年は、清盛が死んだ年と同じですね。
『鎌倉殿の13人』でいうと、11話。
つまり、善児が伊東祐親と祐清を殺したのが11話なので、1181年だったというわけです。
北条宗時を殺したのは、歴史的には小平井久重です。
しかし、小平井久重は武士で、1181年に死んでいることから、善児の人物像とはちょっと異なりますね。
善児のモデルは金窪行親?
『鎌倉殿の13人』の視聴者の間では、「善児のモデルは、金窪行親ではないか?」という見解もあるようです。
金窪行親とは、どんな人物だったのでしょうか?
武蔵国児玉郡金窪の武士
北条義時の側近
1203年の比企の乱の時に活
1213年の和田合戦では、和田義盛の首実検をした
1219年に、義時と政子の命を受け、駿河で阿野時元一族を討伐
義時の死後は、息子の泰時に仕えた
金窪行親は、北条義時と泰時の御家人だったため、『吾妻鏡』に何度も登場しています。
『吾妻鏡』に初めて名前が出てくるのは、1203年。
北条家が謀略で比企一族を滅ぼした「比企の乱」で、
金窪行親は小御所攻めの要員だったことが記録されています。
比企能員を討伐する軍の総大将は、北条義時でした。
義時に従って、金窪行親も参陣したようです。
金窪行親は、義時の側近としてめきめきと頭角を現し、出世しています。
北条家に盾突く者を、次々と排除していくのです。
『吾妻鏡』における、金窪行親の最後の記録は1241年です。
- 鶴岡八幡宮の放生会で、太刀が鞘から抜ける珍事が起きた
- 刀剣を鑑定する目のあった金窪行親は、将軍から諮問を受けた
- 「扱う人に関わりなく神宝であるためにこのようなことが起こったのだ」と回答
- 将軍は、心当たりのある夢を見たので、太刀を伊豆山権現に奉納した
さて、金窪行親は善児のモデルなのでしょうか?
「命令を受けて、邪魔な人物を次々と排除」というのは、善児と通じるものがあります。
しかし、合致しないところが多いです。
- 金窪行親は、下人ではなく武士
- 伊藤祐親や梶原景時ではなく、北条義時に仕えた
- 1203年時点で成人しており、義時や政子よりはるかに長く生きた
- 北条家の御家人として出世した
以上のことから、「善児のモデルは、金窪行親」というのは、少し難しいように思います。
【結論】善児はモデルのいないオリジナルキャラ
結論すると、善児はモデルのいない、三谷幸喜さんのオリジナルキャラクターだと思います。
伊東父子を殺害した1181年時点で、善児はすでに中年です。
金窪行親が『吾妻鏡』に最後に登場するのは1241年なので、さらに60年も生きなければなりません。
何より、金窪行親は北条義時の御家人だったので、いずれライバルとなる梶原景時に付いているのは奇妙な話です。
金窪行親は、比企の乱以降にドラマに登場する可能性があるので、善児のモデルではないのでは。
北条宗時を討った小平井久重も、武士で1181年に討たれており、善児のモデルとは言えなさそうです。
また、モデルがいるなら、キャストの梶原善さんも参考にしているはず。
しかし、インタビューからすると、梶原善さんは全くの白紙状態で試行錯誤しながら演じているようです。
これらのことから、善児はモデルのいないオリジナルキャラクターだと思われます。
『鎌倉殿の13人』のドラマ後半に、金窪行親が登場するか、楽しみですね!
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【鎌倉殿の13人】解説・考察記事の一覧
【北条義時】
【源頼朝】
【八重】
【北条政子】
【三浦義村】
【源義経】
【静御前】
【大姫】
【善児】
【キャスト】
【鎌倉殿の13人】善児の実在とモデルまとめ
- 善児は、実在しない架空の登場人物
- 演じているキャストの梶原善さんが、名前の由来と考えられそう
- 善児のモデルは、北条宗時を殺した「小平井久重」が考えられるが、人物像が合わない
- 北条義時と泰時の御家人「金窪行親」を善治のモデルと考える視聴者もいるが、人物像が合わない
- 善児は、三谷幸喜さんの考案したオリジナルキャラクターと考えられる