朝ドラ『ちむどんどん』タイトル
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朝ドラ『ちむどんどん』では、暢子が上京して銀座のイタリアンレストランで働き始めます。

オーナーの大城房子は、どうやら比嘉賢三や暢子と何かしら因縁がありそうです。

平良県人会長も、賢三のことを知ってる雰囲気ですよね。

「房子と賢三や暢子は、何か関係があるの?」

「平良会長と賢三は、どんな関係?」

と気になる人も多いのではないでしょうか。

読み解くヒントは、平良県人会長が房子に宛てた紹介文にありそうです。

この記事では、

  • 比嘉賢三は、平良県人会長の世話になったことがある?
  • 平良会長から房子への紹介状全文
  • 房子と賢三・暢子の関係は?
  • 平良会長は賢三をよく思ってない?

について、解説と考察をまとめています。

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【ちむどんどん】大城房子と賢三・暢子の関係や因縁は?

比嘉賢三は平良県人会長に世話になった?

5/17の第27話で、暢子は平良県人会長の家に泊めてもらいました。

その時の、暢子と平良夫婦の会話が、ちょっと意味深でしたよね。

振り返ってみましょう。

暢子が家族の話をするくだりです。

 暢子「父の名前は比嘉賢三。母は優子です」

会長「やんばるの比嘉賢三さん?」

暢子「8年前に病気で死んでしまったんですけど」

会長「お父さん、若い頃に鶴見にいなかったか?」

暢子「本土で働いたことがあるとは聞きましたよ」

平良夫婦は、顔を見合わせますが何も言いません。

暢子「父のこと知ってるんですか?」

会長「山原村なら知り合いがいる。今から電話すれば、お母さんに知らせてくれるだろう」

最後は、平良会長がちょっと話をそらした感じがありました。

平良夫婦の態度から、ふたりは比嘉賢三のことを知っているようでしたね。

平良会長は、生まれも育ちも横浜の鶴見です。

いつから会長をしているか分かりませんが、年齢は賢三より年上ですよね。

鶴見に来た若い賢三を、いろいろ世話してあげたのかもしれません。

ただ「賢三ならよく知ってるよ」みたいにならなかったので、ネガティブな関係だった可能性がありそうです。

平良県人会長から房子への手紙全文は?

5/18の第28回で、平良会長は暢子に、就職先として銀座のイタリアンレストランを紹介します。

暢子は何とか試験に合格。

5/19の第29回では、ラストでオーナーの大城房子が平良会長からの紹介状を読むシーンがありました。

一瞬、手紙の全文が映ったので、録画を見直してみました。

ちょっとしたヒントがありましたね。

以下、紹介状の全文です。

 前略

長らく無沙汰の上、本日は突然の手紙にて失礼します。

この手紙を持参する比嘉暢子さんは料理人になることを強く願望して上京してきたのですが、

頼りとしてきた身内の消息がつかめなくなってしまったようです。

勝手なお願いながら、彼女をアッラフォンターナで働かせていただけないでしょうか。

比嘉さんは亡くなった比嘉賢三君の娘です。

今更かとは思いましたがこれも何かの縁と頼らせてもらいました。何卒よろしく。

草々
平良三郎

引用元:『ちむどんどん』第29話

 やはり、平良会長は賢三を知っていたんですね。

「今更かとは思いましたが」という言葉が気になりますね。 

房子は暢子を引き取ろうとした伯母だった

「今更かとは思いましたが、これも何かの縁」という言い方だと、まず思い浮かぶのは第2週ですよね。

比嘉賢三が死んだと聞いた親戚が、「子どもをひとり、引き取りたい」という手紙をよこしました。

4/21の第9話の録画を見直してみました。

善一さんは「賢三のおばに当たる人が、賢三さんが亡くなったと人づてに聞いた」と言ってました。

 賢吉は、

「その人は気難しくて金の亡者という噂さ。

 親の代に本土に移住して、一度も会ったことがないし、親戚づきあいもしていないからね」

と返しています。

賢吉は、賢三の叔父です。

賢吉が「一度も会ったことがない」となると、おばと言っても賢吉の姉や妹ではないようです。

賢吉は賢三の父方の叔父。

つまり手紙の差出人は、賢吉の母方のおばということでしょう。

なので、苗字は比嘉ではなさそうです。

ちなみに手紙の差出人は、第2週では名前が出てきていません。

  • 親の代に本土に移住した2世
  • 気難しくて金の亡者

という賢三のおばが、大城房子であってもおかしくはない気がします。

「8年前に、子どもをひとり引き取りたいと言った時は断られた。

  しかし今になって、就職したいとやって来た」

となると、確かに「今更かとは思いましたが、これも何かの縁」と言いたくなりそうです。

第9週で伯母と判明(6/9追記)

大城房子は、第9週で賢三の伯母ということが判明しました。

ということは、比嘉賢三は、妹の大城智子の息子ということになりそうです。

写真でセーラー服を着ていたのが、大城智子ですね。

写真がいつ撮られたのか分かりませんが、賢三の母親にしては若すぎませんかね?

賢三は、太平洋戦争中は中国で従軍したと言っていました。

賢三が20歳くらいだったとすると、賢三の母親は40歳くらいにはなってそう。

年齢的には、房子、賢三、智子の順番で姉弟と言われた方が、納得できます。

房子と賢三については、これから詳しく語られるでしょう。

分かり次第、記事を更新します。

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賢三は房子の店で働いてた?

賢三は、終戦後は、いろんな仕事をしたと言っていました。

那覇では大工をしたので、やんばるの家も自分で建てましたね。

賢三は食堂で働いたこともあると言ってましたが、それが鶴見の闇市だったようです。

親戚の食堂で働いていたんですね。

5/19の第29話で、大城房子が試験の後の厨房で、暢子の包丁を確認していました。

賢三の名前入りの包丁も、おそらく闇市の食堂で作ってもらったのではないでしょうか。

大城房子とその親が、鶴見で食堂をしていたなら、いろいろと話が合います。

平良会長と知り合いなのも自然ですよね。

また、賢三はやんばるに帰ってからも、農閑期は出稼ぎに出ていました。

「その後は鶴見にも出稼ぎに行ったのかな?」と思いました。

しかし、平良会長の「若い頃に鶴見にいた?」という聞き方からして、長いこと会っていないようです。

若い頃に何かやらかして、顔を合わせづらいのかもしれませんね。

しかし平良会長は知り合いも多く、情報もたくさん集まるので、賢三が死んだことを知っていたのかも。

暢子が「8年前に死にました」と言った時に、驚きませんでしたもんね。

普通、知り合いが死んだと知ったら「え?そうなの?」と驚くはず。

8年前に、賢三が死んだと大城房子に知らせたのは、平良会長だったのではないでしょうか。

賢三は房子との約束を破った

6月15日の放送回では、大きな病院を受診するために、優子と歌子が上京します。

三郎が最後に賢三と会ったのは、戦前だとも言っていましたね。

居酒屋ゆがふで、優子と平良三郎が、房子の話をするシーンがありました。

  • 賢三は、房子との約束を破った
  • 房子は怒っているだろう

と優子が言い、三郎は「人づてにそんな噂を聞いたことがある」と言っていました。

一体どんな約束だったのでしょう?

賢三が、名前入りの包丁を持っていたことを考えると、

  1. ゆくゆくは店を継ぐ約束だった
  2. 料理人になる約束だった

などの可能性があるかもしれませんね。

平良会長は賢三をよく思ってない?

平良会長は、なぜ暢子に「比嘉賢三君のことは知ってるよ」と言わないのでしょう?

ドラマの感じだと、大城房子も当分「実は賢三はわたしの甥で」とは言い出さない雰囲気です。

平良会長が暢子に何も言わないのは、

  • 賢三が若い頃に、何かやらかして平良会長に迷惑をかけた
  • しかし、親の不義理は娘には関係ないこと

と思っているからかもしれません。

もしかすると、賢三も若い頃は賢秀みたいなところがあったのかもしれません。

それで、平良会長は迷惑をこうむったことがあるのかも。

大城房子が賢三のおばだったとすると、賢三とは悪い関係だったわけではなさそうです。

「子どもをひきとりたい」と言ってるくらいですしね。

ただ、房子は平良会長の紹介状を見て「どこの誰とか、誰の紹介とか、ここでは一切関係ない」と言うような人。

仕事に私情を持ち込まない主義のようです。

「すごい奇遇よね」とは心の中で思っても、

「実は、私はあなたの大おばで、8年前に子供を引き取りたいと言ったんだけど」みたいな話は、暢子にしないかもしれません。

ドラマなので、いずれどこかで暢子は知ることになるでしょうが、

どのタイミングで、どんなふうに知ることになるか、気になります。

また、公式ガイドブックによると、大城房子は平良会長とも深い因縁があるそう。

それもこれから明かされていくようです。


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【ちむどんどん】大城房子と賢三・暢子との因縁関係まとめ

まとめ
  • 大城房子は、比嘉賢三の伯母

  • 大城房子は、8年前に賢三の子どもをひとり引き取ろうと申し出た(予想)

  • 賢三は、戦後の闇市で房子の食堂で働いていた(予想)

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