2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には、宮沢りえさん演じる「りく」が登場します。
北条時政の後妻で、歴史的には「牧の方」と呼ばれている人物ですね。
北条時政とりくは、失脚した後は伊豆に隠居し、二度と政治に関われませんでした。
この記事では
・りく(牧の方)は、最後どうなった?
・りく(牧の方)の死因や享年は?
について、解説をまとめました。
【鎌倉殿の13人】りく(牧の方)の最後や死因は?
りく(牧の方)は最後どうなった?
北条時政とりくは、畠山重忠を陥れて殺害し、源実朝の暗殺に失敗した後に失脚します。
ふたりは鎌倉から追い出されて、伊豆で隠居することに。
謀反人でありながら、誅殺されずに済んだのは、北条政子と義時の親だったからでしょう。
時政が失脚したのが1205年で、時政が亡くなったのは10年後の1215年。
享年78歳でした。
夫の時政が亡くなった後は、りくは京に戻ります。
元々、りくは京で生まれ育った女性ですし、娘夫婦が京にいたからです。
りくのその後の様子は、藤原定家の日記「明月記」に時おり出てきます。
藤原定家は、りくの孫娘の舅です。
親戚だったので、身内の話として知る機会が多かったのでしょう。
・りくは、娘婿の藤原国通の家に身を寄せ、贅沢に暮らした
・京に戻ってからも、たびたび鎌倉を訪れていた
・1227年に、時政の13回忌を派手に執り行った
・京の寺社に、孫娘らを連れて派手に参拝していた
などの様子が、「明月記」に書かれています。
りくの贅沢ぶりや派手な振る舞いを、藤原定家は苦々しく思っていたようです。
謀反人として誅殺されてもおかしくなったりくですが、その後もある意味「自分らしく」生きたようです。
北条時政の最後や死因については、別の記事をご参照ください。
北条時政の死因は癌?最後は泰時に嫌われて供養もしてもらえず!
りく(牧の方)の死因と享年は?
りくの死因と享年は、くわしく分かっていません。
ただ、「明月記」の法事などの記録からして、1229年4月に亡くなったのではないかと推測されています。
りくは、生年月日も不詳なので、享年もはっきりと分かりません。
逆に言えば、「明月記」に細かいことが書かれてないことを考えると、病死とか老衰とか、ありきたりの死に方だったのかもしれませんね。
娘夫婦や孫たちに看取られて、亡くなったのではないでしょうか。
謀反人として誅殺されてもおかしくなかったことや、
北条時政が、孫の泰時に謀反人として扱われ、死後ほとんど供養してもらえてないことと比べても、
かなり恵まれて幸せな死に方だったと言えそうです。
ちなみに、1229年に亡くなったとすれば
・夫の北条時政より、14年長生きした
・北条政子や義時より長生きした
ということになります。
そういう点も、ある意味「りく(牧の方)らしい」というか、悪運強い感じがします。
【鎌倉殿の13人】解説・考察記事の一覧
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【比奈】
【善児・トウ】
【キャスト】
【鎌倉殿の13人】りく(牧の方)の最後や死因まとめ
・りく(牧の方)は、夫の北条時政の死後は、京の娘夫婦の下に身を寄せた
・りくは、京でも贅沢に派手に暮らした
・りくの死因や享年は、はっきりと分かっていない
・りくは、1229年に亡くなったと推測され、北条政子や義時よりも長生きした