2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、主人公の父親である北条時政が主要キャラとして登場します。
坂東彌十郎さん演じる北条時政は、お茶目で憎めない性格で、従来の時政像をくつがえす人物像です。
第1回目から毎回登場するので、時政の最期や死因が気になる人も多いでしょう。
この記事では、
・北条時政の死因は?
・北条時政は、なぜ孫の泰時に供養してもらえなかった?
・北条時政のお墓の場所はどこ?
について、解説をまとめました。
北条時政の死因と享年は?
北条時政の死因は、腫物による病死です。
享年78歳で、伊豆で亡くなっています。
源平合戦の時代を生きた武士としては、結構長生きしたと言えそうです。
ただ、死因が「腫物」というのは、ちょっとピンとこないですよね。
具体的には、何の病気だったのか考察してみました。
【時政の死因1】癌?
「腫物ができて死亡する病気」と言えば、やはりまず思い浮かぶのはガンですよね。
日本でガンという病名が一般的に使われるようになったのは、江戸時代末期です。
なので、鎌倉時代だと「腫物」と呼んでいたろうと思います。
悪性腫瘍であるなら、目立つくらいに腫れ上がっていたのではないでしょうか。
【時政の死因2】皮膚病?
腫物なので、皮膚病の可能性も高いです。
例えば、膿皮症という病気の場合は、どんどん化膿していき、外科手術しないと治らない場合もあります。
鎌倉時代の医療だと、重篤な皮膚病だと死に至った可能性もありそうです。
【時政の死因3】敗血症や髄膜炎?
腫物にばい菌が入って悪化し、敗血症や髄膜炎を合併し、亡くなる場合もあります。
腫物そのものではなく、合併症で死ぬということですね。
敗血症は、インフルエンザのような症状がでた後に、意識がもうろうとしたり呼吸が速くなって、死に至ります。
髄膜炎は、ばい菌が脳の髄膜に侵入して、死に至ります。
髄膜炎の場合も、風邪のような症状が出た後に、意識を失ったりけいれんを起こしたりして亡くなります。
鎌倉時代だと「腫物ができた後に、急に具体が悪くなって亡くなった」という感じだったかもしれません。
死後の北条時政とお墓の場所は?
孫の泰時に供養してもらえなかった理由は?
北条時政が死んだのは、1215年2月6日でした。
北条時政は、伊豆の小さな豪族でしたが、鎌倉幕府の執権にまで昇りつめた人物。
しかし、評判はよろしくありませんでした。
畠山重忠を陥れて殺害したり、孫の源実朝の暗殺を謀るなどしたため、失脚してしまいます。
そのため、孫の北条泰時は「北条時政は謀反人」として、法要・供養をしませんでした。
北条家の初代は、北条義時としており、時政の存在を否定したのです。
北条泰時は、源頼朝や政子、義時は厚く供養していたそうですから、時政はよほど忌み嫌われていたのでしょう。
お墓の場所はどこ?
北条時政のお墓は、静岡県伊豆の国市の願成就院にあります。
頼朝の奥州征伐の勝利祈願として、建立されたお寺ですね。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第21回で、仏師の運慶が伊豆に来て阿弥陀如来像を彫るシーンがありました。
あの阿弥陀如来像などは国宝に指定されてます。
この願成就院に、時政のお墓があります。
北条時政公墓(天守君山 願成就院)。
— k.wada(@wadakogorou) April 2, 2022
立派なお墓で、時政公の人柄が偲ばれます。
お参りできて光栄でした。 pic.twitter.com/wot5jkLeQp
晩年は不遇をかこった時政ですが、やはり初代執権にまでなっただけあって、お墓も立派ですね。
・所在地:静岡県伊豆の国市寺家83-1
・拝観時間:10~16時(最終受付15時半)
・休館日:火曜・水曜
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【善児・トウ】
【キャスト】
北条時政の死因と最後まとめ
・北条時政の死因は、腫物による病死
・享年78歳
・孫の北条泰時は、時政を謀反人として供養しなかった
・お墓は、伊豆の国市の願成就院にある