朝ドラ『カムカムエヴリバディ』では、安子がロバートと再婚してアメリカへ渡りました。
すぐに10年後の「大阪編」が始まりましたが、安子の消息は出てきませんね。
「安子は、その後どうなったの?」と気になります。
この記事では、
- 安子は、渡米してその後どうなったのか?
- 安子はアメリカで差別された?
- ロバートの子どもを生んだ?
など、いろいろな視点で考察をまとめました。
【カムカムエヴリバディ考察】安子はその後アメリカでどうなった?
12月22日の放送回で、安子はロバートと再婚して渡米することを決めました。
「え、こんなふうに、るいと生き別れるの?」とショックでしたよね。
アメリカへ渡った安子は、その後どうなったのか、考察してみました。
安子とるいが再会するかどうかについては、別の記事にまとめたのでご参照ください。
安子は戦争花嫁になった
安子のように、戦後アメリカ兵と結婚した日本人女性は、「戦争花嫁」と呼ばれました。
45000人ほどいたそうなので、ちょっとした地方都市の人口くらいいますよね。
米兵相手の水商売などで知り合う女性も多かったので、蔑視されることも多かったようです。
アメリカ赤十字社は、アメリカ文化を教える「花嫁学校」を日本国内に、100校以上開校しました。
当時は、日本国内のあちこちに進駐軍がいたということなのでしょうね。
また、戦争花嫁になる人が多かったことも分かります。
安子は偏見・差別にさらされた?
安子たち戦争花嫁が渡米したのは、昭和20~30年代です。
現代でも日本人は、黄色人種として差別される傾向にありますよね。
当時は、今よりさらに偏見・差別にさらされたそうです。
アメリカ人からすると、真珠湾攻撃は卑怯なやり方ですから、日本人には風当たりが強かったでしょう。
アメリカでは、人種解放の民権運動が始まる前。
バスなどの公共交通機関の座席は、白人は前、黒人は後ろと決まっていました。
日本人は、真ん中辺りに座らなければならなかったようです。
安子が住んだ場所によっても、生活は左右されたでしょう。
南部などの州だと「日本人は一人もいない」という町がたくさんあったはず。
そうすると、友達をつくるのも大変で、孤独を感じたかもしれません。
また、長い間日本語を使わないと、日本語を忘れる人も多くいます。
一方、サンフランシスコやシアトル、サクラメント、ロスなどの西部なら、日本人はたくさんいました。
日本人町もあったので、友達もつくりやすいですし、心の支えにもなったでしょう。
ただ、安い賃金で働く日本人を嫌うアメリカ人も多くいました。
やはり偏見・差別は免れなかったと思います。
日本人である以上、安子はアメリカのどこにいても、偏見・差別という苦労はしたでしょうね。
安子はアメリカを転々とした?
帰国したロバートが軍人を続けたか、退役したかでも、安子の生活は大きく違っていたはずです。
アメリカは戦争の多い国なので、頻繁に赴任先が変わります。
赴任地を転々とするうちに、日本の親戚と連絡が途絶えた戦争花嫁は、とても多かったそう。
安子も、あちこちとアメリカ国内を転居したかもしれません。
一箇所に落ち着いて、周りの人と人間関係を築いて、という生活にはなりにくいですよね。
あるいは、ロバートが海外の前線に送られると、安子はアメリカでひとり待っていなければなりません。
数カ月から数年にわたる場合もあります。
安子ひとりで長期間、別居生活するのは、精神的にかなりしんどいのでは。
南部だと相談する友達もいなくて、かなり孤独ですよね。
ロバートの性格なら、安子のために軍人を退役したかもしれないなと思います。
安子は稔を戦争で失いました。
ロバートも失うのではと不安になりますよね。
ロバートなら、安子の心配や不安を少しでも減らそうとしたのでは。
安子が暮らしやすい町で、民間の仕事をして暮らしたかもしれませんね。
どこであっても、ロバートが頼りで、ロバートに左右される暮らしだったかもしれません。
安子は音信不通になった?
前述しましたが、夫が軍人だと転居が多いため、音信不通になった戦争花嫁は多かったそうです。
また、昭和20~30年代と言えば、1ドル360円の固定為替の時代。
国際電話は、おそろしく高額でした。
「もしもし、元気にしてる?」
「うん、元気にしてるよ」
という会話だけで、当時のお金で3000円したそうです。
昭和26年の大卒銀行員の初任給と、同じくらいしたのです。
そもそも安子は、「るいを日本において、アメリカに渡った」という経緯があります。
12月23日の放送回では、勇が
「ねえさんが、るいを置いてアメリカへ行くなんて、よほどのことがあったんじゃろ」
というようなことを言っていました。
安子は、渡米してから雉真家とは連絡をとっていないようです。
安子が連絡を取り合うとしたら、
- 豆腐屋の絹ちゃん
- 喫茶店ディッパーマウス・ブルースのマスター
くらいでは。
それも、頻繁に連絡を取り合うという感じではない気がします。
安子はロバートの子どもを生んだ?
安子がロバートとアメリカへ渡ったのは、1951(昭和26)年です。
安子は、1925(大正14)年3月生まれ。
26歳で渡米したんですね。
まだ若いので、ロバートとの間に子どもができたと考えるのが自然でしょう。
るいには、異父妹弟がいそうですね。
安子はおはぎを作って売った?
その後、安子はアメリカで何か仕事をしたか、考えてみましょう。
子育てがひと段落ついた頃には、働き始めたかもしれませんね。
「たちばな」でも対応上手だったので、接客業は向いていそうです。
日本人コミュニティのある町なら、日本の文化を伝える活動なども考えられます。
あるいは、やはりおはぎなどの和菓子をつくって売ったかもしれません。
日本人町なら、小豆などの食材も手に入れやすいです。
アメリカ人相手、日本人相手、どちらにも買ってもらえそうですよね。
村雨辰剛さんが「円満」コメント
1月13日の追記です。
1月13日の『あさイチ』にロバート役の村雨辰剛さんが登場しました。
博多大吉さんから「海の向こうで元気にやってますか?」と『カムカム』ネタの質問をしたんですね。
村雨辰剛さんは「元気でやってます」「もちろん、円満です」と答えていました。
ロバートと安子は、元気に仲良くやっているようで、ちょっと安心しましたね。
★3/10追記です。
NEWポストセブンの芸能ニュースによると、最終回までに安子が再登場しそうです。
最終回については、別の記事にまとめましたので、ご参照ください。
当ブログでは、朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の解説・独自考察記事を、毎週提供しています。
よろしければブックマークしてチェックしてみてくださいね!
【カムカムエヴリバディ】解説・考察記事の一覧
【るいと安子】
- 【考察】るいと安子が再会して和解する?再登場の可能性は?
- 【考察】るいはなぜ安子に捨てられたと思ってる?
- 【考察】安子はその後アメリカでどうなった?苦労した?
- 晩年の安子を演じるキャスト候補は4人?宮崎美子or上白石萌音?
【ジョー】
【ひなたと五十嵐】
【城田優】
【きぬちゃん】
【その他】
【雉真稔】
【算太】
【トミー】
【桃太郎】
【吉右衛門】
【勇・雪衣】
【映画村】
【その他】
【カムカムエヴリバディ】の見逃し配信をお得に観るには?
連続ドラマ小説『カムカムエヴリバディ』は、平日は毎日あるので見逃すと、あっという間に進んでしまいますよね。
見逃し配信しているのは、以下のサービスです。
NHKオンデマンドには無料期間がなく、代わりに「NHKプラス」が開設された形になっています。
U-NEXTでは、
- 無料トライアル期間は600ポイント
- 有料期間は毎月1200ポイント
が自動チャージされます。
そのポイントを使って、NHKオンデマンドを
- 1話ずつ購入(220円)
- 「まるごと見放題パック」月額990円を購入
のいずれかで、お得に視聴することができます。
U-NEXTだと、洋画・邦画・アニメなどのコンテンツが業界最多18万本と充実しているので、オススメです。
\31日間無料!/
【カムカムエヴリバディ考察】その後の安子inアメリカまとめ
ロバートと再婚して渡米した安子は、その後どうなったかを考察しました。
- 安子は、日本人ということで偏見・差別にあう苦労をした
- ロバートが軍人を続けた場合、安子も赴任地を転々とした
- ロバートの性格から、退役して安子が幸せになる暮らしを模索したのではないか
- 安子が連絡するなら、親友の絹か喫茶店のマスターが考えられる
- 安子は、渡米してしばらくすると、日本と音信不通なったかも
- 安子は、ロバートの子どもを生んだ可能性が高い
- 日本人町のある土地なら、安子はおはぎを作って売ったかも
- 1/13の「あさイチ」でゲストの村雨辰剛さんが「円満です」とコメント
というのが、この記事のまとめです。